島鬼てぶくろ
島てぶくろ島てぶくろ

瀬戸内海にぽっこりと浮かぶ島々が手袋に! 
2010年開催、瀬戸内国際芸術祭を記念して制作しました。
左手にはアーティストインファクトリーの無限大マーク。
アーティストとものづくり企業のコラボレーションには、まだまだ無限の可能性あり!

8つの島々の色は、それぞれ現地でリサーチした声をもとに島のイメージカラーとしました。
島によって本当に多種多様な歴史と文化と風景がありました。

直島 - お日さまの色

大小27の島々からなる直島町の中心である直島は、
香川県高松市の北約13km、岡山県玉野市の南約3kmに位置する、面積7.81平方km、人口が約3,400人の島です。
平安時代、保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐国へ流された際、この島に立ち寄り、
島民の純朴なこと、素直なことに感動し「直島」と命名したとも伝えられています。
直島近海は古くから海上交通の要衝であり、戦国期には直島を治めた高原氏が水軍を束ねて活躍し、
江戸時代の初めには多くの人が廻船業に携わっていました。
幕末から明治時代にかけては芝居が盛んに行われ、
現在でも女性だけの人形浄瑠璃「直島女文楽」がその伝統を受け継いでいます。
地場産業としてハマチや海苔の養殖漁業が行われているほか、
島の北部では大正時代から銅をはじめとする貴金属の製錬を行っており、島の経済を支えてきました。
近年は、島の南部に美術館が整備されるなど、現代アートの聖地として世界的にも知られるようになっています。

豊島 - 稲の新芽色

直島と小豆島の中間に位置する、面積14.5平方km、人口が約1,000人の島です。
島の最南端には西日本最古の貝塚があり、約9千年前には既に人が住んでいたことが分かっています。
瀬戸内海交易とともに栄え、近年までおよそ千年にわたり石材業が基幹産業でした。
特産品の豊島石は、京都桂離宮の灯ろうでも使われるなど西日本各地に広がっています。
島の中央にそびえる壇山には豊かな森が広がり、豊富な湧き水が、島には珍しい棚田を潤しています。
かつては自給した上で島外に出荷するほど稲作が盛んでした。
また乳牛を多く飼育し「ミルクの島」と呼ばれたこともあります。
戦後には乳児院が開かれ、福祉施設が多く整備された「福祉の島」でもあります。
島の西端で起こった日本最大級の産業廃棄物不法投棄事件は、
廃棄物の問題を一気に我が国最優先の環境問題にクローズアップさせ、
廃棄物政策の見直しを行う引き金となりました。
現在、廃棄物は海上輸送され、直島で無害化処理が行われています。

女木島 - 鬼ヶ島の赤鬼色

高松の沖合、約4kmに位置する、面積2.66平方キロメートル、周囲8.9km、人口が約200人の島です。
女木港周辺には、防風防潮用に「オオテ」と呼ばれる高さ3、4メートルにもなる石垣が築かれ、
独特の景観を作り出しています。
約80年前、昔話「桃太郎」に登場する鬼ヶ島と女木島を結びつけた話が創作され、
その後、鷲ヶ峰山頂にある洞窟が鬼のすみかとして観光地化されました。
その鷲ヶ峰山頂にある展望台では360度瀬戸内海を見渡すことができ、
春には島をピンクに染める数千本の桜並木とともに景色を楽しむことができます。
対岸の高松や屋島を望む浜辺は水質も良く、環境省の「快水浴場百選」に選定され、
夏には海水浴のほかキャンプや釣りを楽しむ人々が大勢訪れます。
夏には、2年ごとに住吉神社大祭りが行われます。
太鼓を叩く子どもたちを乗せ、大勢の男性に担がれた太鼓台が海の中に入り、
海の男の勇敢さと勇猛さを顕示する島内最大の祭りです。

男木島 - 男の色

女木島の北1kmに位置する面積1.37平方キロメートル、周囲4.7km、人口が約200人の島です。
平地がほとんどないため、斜面に密集して民家が建ち並び、その間を縫うように細い坂道が通っています。
地形上の制約で水田を営むことは難しく、戦後間もないころまでは、島外に牛を貸し出し、その対価として米を手に入れていました。
男木港から見える高台にある豊玉姫神社は安産の神様として知られ、島外からも多くの人が安産祈願に訪れていました。
島の北端に建つ男木島灯台(1895年設置)は、花崗岩を用いた美しいつくりで、日本の灯台50選にも選ばれており、
「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)の映画ロケ地として全国的にも有名になりました。
また灯台職員の官舎跡は、灯台資料館として保存活用されています。
陸生のヒメボタルの生息地でもあり、初夏の夜には山中で幻想的に明滅する光を見ることができます。
また、ニホンスイセンの植栽が、ボランティアの手により毎年行われ、2月には数百万本の花が開きます。

小豆島 - オリーブの色

面積153.33平方kmと瀬戸内海では淡路島についで2番目に大きな島です。
土庄(とのしょう)町、小豆島町の2つの町からなり、約32,000人が暮らしています。
古くは「あずきしま」とよばれ、「古事記」には児島(岡山県)の次につくられた島として登場します。
最高峰の星ヶ城山は瀬戸内海の島の中で一番高く、島全体が起伏に富んで自然に恵まれています。
豊臣家滅亡後の大坂城修築には小豆島から切り出した石も用いられ、石丁場跡が島内数カ所に残っています。
江戸時代には島外での販売を目的とした塩、醤油、素麺などが生産され、
醤油や素麺は現在でも小豆島の特産品となっています。
この頃から芝居が盛んに行われ、最盛期には30余りの常小屋がありました。
現在でも、農村歌舞伎として、肥土山(ひとやま)地区と中山地区の
2カ所に残るかやぶき屋根の舞台で毎年上演されています。
壺井栄の小説「二十四の瞳」の舞台として全国的に有名で、
約100年前に日本で初めてオリーブ栽培に成功したことからオリーブの島としても知られています。

大島 - 山つつじの色

高松港の北東約8kmに浮かぶ、面積が0.62平方キロメートル、周囲7.2kmの小さな島です。
もともと2つの島だったものが砂洲でつながり、ひとつの島になっています。
古くは源平合戦の舞台にもなり、西海岸一帯には「屋島の戦い」に敗れた平家方の勇者を葬ったところに
植えられたと伝えられる老松「墓標の松」に覆われた松林が、今も残っています。
1909年にハンセン病の療養所が設立され、1946年に国立療養所大島青松園と改称されました。
長らくハンセン病に対する社会的偏見と差別から、国の誤った政策により入所者が強制隔離されてきました。
1996年に「らい予防法」が廃止され、2008年には「ハンセン病問題基本法」が成立し、
現在は園内で、入所者の日常生活の介助・療養生活の支援と、
ハンセン病を正しく理解するための啓発活動が行われています。

犬島 - 煙突の錆色

岡山県岡山市の宝伝港から南に約2.5km、定期船で約8分ほどの場所に位置しています。
面積は約0.54平方km、周囲3.6km。6つの島からなる犬島諸島のうち唯一の有人島です。
諸島のうちのひとつ、犬ノ島にはうずくまった犬の形に似た巨石「犬石様」があり、犬島の名の由来となっています。
良質な花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、古くは江戸城、大阪城、岡山城の石垣、
明治以降では大阪港礎石の切り出し場となるなど、全国各地で犬島の石が珍重されてきました。
犬島精錬所が開設(1909)、営業されていた最盛期10年の間には住民は3000人を越えましたが、
精錬所閉鎖と採石業の衰退により現在の人口はその50分の1以下となっています。
島内には海水浴場、「自然の家」などがあり、四季を通して島独自の自然に親しむことができます。

屋島(高松) - 庵治の石色

高松市は、四国の北東部、香川県のほぼ中心に位置する人口約42万人の都市です。
現在の高松港周辺は、古くは「篦原(のはら)」と呼ばれ、
1588年、豊臣秀吉の家臣であった生駒親正(いこま・ちかまさ)がこの地に居城を構え、地名を高松と改めました。
高松城は、海に面し、堀に海水が引き込まれている全国的にも珍しい水城(みずしろ)です。
1642年松平頼重(水戸光圀の兄)が高松藩主となり、「讃州さぬきの高松さまの城が見えます波の上」とうたわれたように
高松は江戸時代を通じて城下町として発展しました。
明治時代以降、高松港は数度にわたる大規模な港湾の改修と鉄道の敷設を経て「四国の玄関」となります。
次々と船が発着する高松港は、入港船舶隻数が全国でも上位の屈指の旅客港で、
島々へと渡る母港、城下町から発展した現代の市街地と瀬戸内海の結節点として、重要な役割を果たしています。

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